今回、パートナー企業でもある株式会社アルボルの代表取締役で社団法人ベンチャー投資育成研究会の理事も務める本庄 昌実さんにお話をお伺いしました。本庄さんのご経歴から浜松へ移住をされたワケ、会社設立やその背景、今後の展望などを取材させていただきました。
―本庄さん、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
―はじめに、株式会社アルボルの事業内容や企業の設立背景について教えて下さい。
現在、弊社ではスマートフォンアプリの企画開発、販売やソフトウェアの受託開発などを主に行っています。設立は2012年です。2012年と言えば、スマホが普及し始めた頃でした。スマホアプリをつくりたいと言う需要が出て来て、それに応えようと活動したことがきっかけで会社を設立することとなりました。当時は、県内で開発を行うプログラマーも少なかったのですね。IT系の勉強会を主催することでエンジニアとのつながりをつくり、業務体制を整えていきました。
―なるほど、時代に必要とされるビジネスであると感じられて設立されたのですね。県内出身者ではない本庄さんが、なぜ浜松でこのように起業されたのでしょうか。ご経歴とともに大学時代の活動についても詳しく教えてください。
私は京都市で生まれ育ち、大学も市内でした。幼少期から、家電や新製品など世に新しく出るハイテク商品には興味がありました。スピーディー且つ、便利になって行くことが好きだからだと思います。学生時代は、ブロードバンドが普及し始めて、いよいよICTの幕開けと言う感じでした。私自身も、ポータルサイトを作成したり、オークションサイトをつくったりしていました。ICT技術を活用して事業をしたい学生たちが、大学や学部を超えて集まり、夢を語っていましたね。ああでもない、こうでもない。といろいろと語り、行動しましたが、私の取り組みは軌道にのりませんでした(笑)
―学生時代から、ITに興味をもち活動されていたのですね。今の事業内容とのつながりが見えてきました。卒業は、どのように浜松へ移住されたのでしょうか?
はい。大学卒業後は、大阪で通信業界の広告宣伝業務等に従事していました。ICT技術を普及する仕事、ICT技術を活用しクライアント(会社)の事業をプロモーションする仕事でした。就職氷河期でしたが、ITがまあまあ得意と言うことで、たまたま、その仕事にありつけました。(笑)30歳を節目に、社会人としての目標や人生を計画する考えがあると思います。私は、27歳くらいから強く考えるようになりました。渋谷のIT企業、六本木ヒルズなどのキャッチーな言葉にも釣られ、東京への転身も意識するようになりました。
一方で、私は幼少期から、海のある町に憧れがあって、いつか住みたいなあ。と漠然と思っていました。それで、関西から東京へ旅する途中、浜名湖を見てその景色に感動し、旅の途中ですが、浜松に住み出すこととなりました。(ちなみに、私の肩書きって「東海道を旅する人。」なんですよ。(笑))実際には、打算と言うか、緻密な想いと言うか、当時はありましたけど。(笑)
―様々な想いをもって浜松への移住されたのですね。その後、起業にいたるまではどのようなステップがありましたか。また地方で働く環境は、どのようなものでしたか?
まあ、浜松に流れ着いたって感じですね。(笑)浜松での新生活は2007年からでしたけど、行政機関や地域企業のIT化を促進したり、ICT技術を活用した地域発のイノベーションを興す仕掛けをつくったり、次世代のIT人材育成などの仕事に取り組んでいました。弊社は、この取り組みの中で誕生(設立)することとなりました。浜松に関して言えば、東京には新幹線(陸路)で約90分、グローバル企業も多く、所謂、”地方”と言う感覚ではなく、ニュー・ノーマルの都市。と言う感じがしています。生活面においても、交通機関・医療機関・教育機関も整備されており、住環境も良く、気候も良く、食も豊かです。何よりも人が穏やかで、友好的ですごく良い。(笑)グローバルビジネスを考える場合だと、最先端の技術とコラボしたモデルを考えることもできるし、(ふるさとの京都などと比べると)内需系ビジネスも組み立てやすいのではないかな?と思います。
―浜松への移住は、本庄さんの「人生の転機」でもあるかもしれないですね。その後、先ほどの会社設立のお話に繋がっていくのですね。ここで本庄さんの経営者としての想いや大切にされていることがあれば、教えてください。
私のベースとしての想いは「(ITを使って)世の中を良くしよう」です。時代ともに求められる具体的な事業(サービスや製品)は変わっていきますが、これは、学生時代も心の底では変わらぬ気持ちだったと思います。また、この想いに向かって取り組んでいると、(勝手に)事業が生まれ、必要に応じて会社が出来ていく。その時に一緒に取り組んだ仲間との関係で、代表取締役になったり、そうじゃなかったり・・・それが私にとっての起業。と言う感じです。(消防士になったから火を消すのではなく、(社会にとって必要なことだと思って)火を消しまくっていたら、いつしか消防士と呼ばれるようになった。みたいな感じでしょうか。)
また、渋沢栄一さんの教えである「道徳経済合一説」を経済人として大切にしています。『道徳』と『経済』が事業において両立しなければならないと考えています。私利私欲ではなく(民間人のアプローチで)公益を追求していきたいです。と、同時に世間に必要とされる存在であり続けるには、時代や経済に合わせて、自身を変化させる力も必要だと思っています。変えてはならない普遍的なことと、変化を恐れずチャレンジすることと常に自問自答して、日々精進していきたいです。
―世の中を良くしたいという本庄さんのお気持ちが基礎になっていたのですね。本庄さんは、社団法人ベンチャー投資育成研究会の理事も務めていらっしゃいますが、こちらの活動はどのようなものですか 社団として今後、目指していきたいことはありますか?
はい。創業・新規事業に取り組む事業家への支援であったり、若手への啓発活動として、(静岡で)起業も人生(就職)の選択肢と捉えてもらえるような活動をしています。私の場合は、主にITなどの技術面からのアプローチでサポートし、その事業が加速或いは飛躍するように努めたいと思っています。具体的な定量目標はないですが、様々な事業分野で支援・コラボを実現できたら、と思っています。また、私一人では実現できなかった産業分野にもチャレンジするきっかけにもなって、私自身の成長にもつながっている。つながっていく。と感じております。社団は、支援される側も、支援する側も、成長の場。と言う感じですね。
―最後に、本庄さんにとって弊社の存在はどのようなものでしょうか。
私は、プロジェクトごと或いは、年度ごとでリーダーが変わる環境に身をおいています。球と言うか、円(サークル)を描いたようなと言うか、そんな人間関係に居ます。EXPACTは、また違っていてコーポレートロゴの旗に象徴されるように、一強型の強いリーダーシップを感じます。三角(ピラミッド)を描いた上下関係の強い組織も必要で、私に足りないチームビルディング力とは何かを教えてくれます。お互いに風土が違うからこそ、叱咤激励していける存在だと思っています。尊重し合って、これからもやって行きたいと思います。
―本庄さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。
ありがとうございました。
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